《法話》いつもどこでも

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《法話》いつもどこでも

多良組円満寺
   柘 智海
お世話になります。佐賀県太良町の柘智海と申します。
私は、広島県のお寺で生まれ育ちました。中国山地ののどかな田舎町です。現在の太良町も、のどかな町でありますが、広島と違うところがあります。それは有明海という海に面しているということです。婿として太良町に来ましたが、中国山地の田舎町で育った私としては、海にあこがれを持っていた為、有難い場所にご縁をいただいたなあという気持ちでした。
この度のお話しは、私が初めて太良町にやってきた時のお話しです。待っている海にワクワクしながら、広島から向かったのですが、いざ到着して見渡しますと、眼前に広がっていたのは一面の「干潟」でした。
すっかり忘れていました。その時私は「そうだった。有明海は干潟が有名な海だった。」とつぶやくと同時に、想像を裏切られたという思いから、ふつふつと怒りが込み上げてきたのです。
そんな感情を持ちつつ、その夜は、町内にある有明海が眺望できる温泉旅館に泊まりました。夕食には私の大好物の牡蠣や蟹をいただきました。そして、これらが町の特産品であると聞いたとき、私は「最高の海の町にご縁をいただいたなあ」と歓喜したのです。
同時に「あっ」と思いました。日中は良くないイメージを持っていたのに、現在は最高の気分でいる。その時々の都合で良し悪しを決めてしまう、自分勝手な物の見方しかできない自らの愚かさに気づかされました。つまり煩悩の眼をもった私であったのです。海にあこがれていた私に、阿弥陀さまが、海に面したお寺にご縁を与えることによって「お前の本当の姿に気づけ」と仰って下さっているような気がしました。
と同時に「お正信偈」の「我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」というお言葉が頭に浮かびました。
阿弥陀さまは、煩悩の眼を持っている私のために、「南無阿弥陀仏」という声の仏さまとなり、常にはたらき続けてくださっています。いつでもどこでも「南無阿弥陀仏」と聞くと、阿弥陀さまのお慈悲に包まれている事を感じることができます。そんな阿弥陀さまのおはらきに改めて気づかせていただいたとき、なんだかあたたかい気持ちが込み上げてきました。そんな時は、「ありがとうございます」とお念仏を申さずにはいられません。

南無阿弥陀仏

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