≪法話≫

目次

《法話》『如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり』

田代組善覚寺

   正木 隆真

『如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり』

ようこそお電話くださいました。

いま拝読しましたのは「ご和讃」といいまして、親鸞聖人がご本願のお救いをやさしく伝えるためにお作りくださった歌であります。どのような人であってもそのいのちは、「どうかすくわせてくれよ」阿弥陀様に願われるいのちだと仰るのです。

苦悩の有情とは、思い通りにならない人生に悩み、苦しんでゆかなくてはならない存在。つまり私のことであったと聞かせていただきます。 いのちある者は必ず年をとり、どこかが病んで、そのいのちを終えてゆかなければなりません。また、いのちあってもその生きにくさ故に悩んでいかなければなりません。その苦しみ悩みや生きにくさのもとは、私自身の煩悩であり自己中心にしか生きることのできないという悲しいわが身そのものであったのです。

その私の悲しみを我が悲しみとして、「この子を救わねばならない」と起こされたのが阿弥陀如来のご本願でありました。

『歎異抄』〔後序〕には、親鸞聖人の言葉として「されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」とあり、これは「自分ではどうすることもできない多くの業をかかえていきなければならない私を、そのままおすくいくださるご本願のなんと有り難いことか」と慶んでおられるのであります。

また、真宗大谷派の金子大栄師の言葉に「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ、涙は涙にそそがれる涙にたすけられる。」というのがあります。

阿弥陀様はお慈悲によってとてつもなく永い間のご苦労のすえにそのご本願をご成就され、そのご修行の功徳のすべてをいますでに私やあなたに与えてくださっているのです。

南無阿弥陀仏・・・南無阿弥陀仏・・・お念仏してみて下さい、これが阿弥陀様がご一緒していてくださるお姿です。阿弥陀様はいつも私やあなたと一緒に歩めるように声の仏様となっておられるのです。そしてこれが本願力回向のお姿です、

「声に姿はなけれども 声のまんまが仏なり 仏は声のお六字と姿を変えて我に来る」広島真宗学寮の初代学頭である髙松悟峰和上のお歌であります。

阿弥陀様の本願力が間違いなく私に届いているからこそ南無阿弥陀仏とお念仏となってくださるのであり、たった一言葉ではありますが阿弥陀様のご修行のすべての功徳が込められているのであります。

広島の武田一真和上がこのようなお話しをご紹介くださいました。お寺で運営している幼稚園の七夕行事の時に、短冊に「叶えたい目標を書きましょう」といわれて、五歳の男の子が「おかあさんになりたい」と書いたそうです。これを見てみんなもとてもホッコリしたそうですが、その子のお母さんもとても喜ばれたそうです。「おかあさん」という言葉を「なりたい」とまであこがれて口にしているのはこの子だけれども、ここに現れているのは「お母さん」そのものではなかったか。お母さんがこの子に与えてきたものがこの子に現れているのではないかと思うと有り難いのであります。

このようにしてすでに阿弥陀様の無上功徳がこの身に届いていて、その功徳の中におさめとられている身を生きるのですから、いつ、どのような縁でいのち終わっても、お浄土に生まれて覚りの仏とならせていただき、すぐまたこの娑婆に還って悲しみの人びとを導いていくという仏のいのちを生かさせていただくのであります。

本日はようこそお電話くださいました。

  • URLをコピーしました!
目次